ある会報から
ある社内報の中に転載された文章です。
人間は何のために生まれたのか。金儲けのために生まれたものはある
まい。遊び暮らすためにうまれたものはあるまい。威張るために生まれ
たものはあるまい。ほめられるために生まれたものはあるまい。
では何のために?
お金も必要だが、お金のためにお金が必要でない。お金持ちがあって
もよい、お金を儲けてもよい。しかし、それが人間の生まれた目的では
なかった。
私たちは、一生涯かかってただ二つの事をしたい。
第一は、自分をできるだけ高めたい。我が内にある自己を伸びるだけ
伸ばし、与えられた才能のありったけを発揮したい。
第二は、自分の住む世界を立派にしたい。何ほどの事が出来るか知ら
ないが、一人でも多くを悦ばせ、この人生を少しでも住みよいところに
したい。この二つの願い、その事のために、学問もする、働きもする、
家庭ももつ。自分一代で出来なくとも、子々孫々この願いを継ぎ、自分
もまた、死後に至るまで永遠に、この二つの事を努めたい。生活も、宗
教も、芸術も、みんなこの中にある。
この詩は、後藤静香氏のだ。彼は詩人でないが、一九二〇年から一五
年間、おびただしい文章を書き遺した。その殆どは、人間への愛と励ま
しに満ち満ちている。詩といえば岡山の生んだ女流詩人・永瀬清子氏が
詩作について「人よりいちだん上にいたら、いい詩は書けない。地面に
這う虫の心が大切よ」と述べている。本当の芸術家は、それが詩人・歌人・
画家であれ、厳しい現実を直視し、その中に身を沈めて、大衆と共に這
いずりまわるくらいの心がけでなければ、その創作はすべてニセモノで
はないだろうか。
古来「弱い犬はよく吠える」といわれる。ほんとうに実力のあるもの
は空威張りはしない。後藤静香は、常に大衆の中にいた。そして詩もど
きを書いた。「本気」の詩だ。
本気ですれば
たいていな事はできる。
本気ですれば、
なんでも面白い。
本気でしていると、
たれかが助けてくれる。
本気で働いているものは
みんな幸福で
みんなえらい。
全国信用金庫協会発行「楽しいわが家」
吉田貞雄氏の流風余話より引用
お金と勇気
人間が仕合わせになるために、ある程度のお金が必要であり、おんなじ不幸に見舞われ
ても、お金があった場合と、なかった場合とでは、そこに雲泥の差のあることがある。し
かし、当然のことながら人間は、お金だけでは仕合わせになれないし、お金のために却っ
て不幸になる場合もある。
そういうことを考えながら、ある会合にでた。会半ばに中年のふっくらした女性が寄っ
て来て、『流風余話』を読んでいるといい、「私、マネービルをやっているんですよ」。
自分には子供が二人いて、今から将来に備えているのだとつけ加えた。ためしに、その持
っている株の銘柄を聞くと、すべて一流ばかりであった。株をまったくやらない私は、感
心した。それだけ持っていたら老後の憂えがないでしょうといっておいた。すると、その
女性は、私を見返すようにして、「でも、昔からいうじゃありませんか。お金を失うこと
は小さく失うことであり、名誉を失うことは大きく失うことであり、勇気を失うことはす
べてを失うことである、と」
私は、それまでそういう言葉があることを知らなかった。咄嗟に、私は「ありがとう」
と頭を下げたが、たしかに私たちは、子供の頃から勇気という言葉を教え込まれている。
よく、「勇気を出せ」と、人からいわれたり、いったりしている。
その場合は、それはたしかに必要なことであるが、平凡に聞き流してしまうことが多い
のでなかろうか。しかし、真に失意のとき、先に書いたある女性の言葉のように勇気とい
う言葉の意味を考えるとき、おのずと違ったものになってくるような気がする。勇気とい
う言葉が本来の力強さで生きてくるのである。
叱られても我慢する勇気、自分の意見をはっきりという勇気、友情をつらぬく勇気、借
金を断る勇気、孤独や蔭口に堪える勇気、病苦に堪える勇気、それから「欲望を延期する
勇気」 --例えばクレジットで洋服を買わずに一年我慢すれば、同じ金で洋服のほかに靴
も買える。また「貯蓄する勇気」などなど--。
思えば私たちの日日は、大小の勇気によってささえられているようだ。それをいつも思
い出し、とにかく、勇気だけは失ってはならぬ、ということだろう。
ゲーテの詩を引用したチャーチルの言葉に「人間は、お金や地位や名誉を失っても再起
は出来る。しかし、勇気を失っては、万事おしまいだ」は今なお「黄金のことば」である。
全国信用金庫協会発行「楽しいわが家」
吉田貞雄氏の流風余話より引用